「ありがとう」を1日100回唱えたけれど
天中殺ですよ、暗剣殺ですよ、厄年ですよ、八方塞がりですよ、なんて言われれば、突然不運に見舞われても腑に落ちる。
それじゃあ仕方がないな、とあきらめがつく。
不本意であっても、受け入れられる。
反対に、理由らしい理由もなく、突然に不運に見舞われると、なんだか理不尽な感じがする。
裏切られたような気さえする。
そうすると、否定に入る。
10年前の私がそうでした。
「ありがとう」を言うと人生が好転する、という本を図書館で見つけて、それに倣って1日100回「ありがとう」を唱えていました。
当時、20代後半に差し掛かっていた私は、いわゆる「八方塞がり」の状態でした。
職にあぶれ、それまで仲の良かった友人たちとも急に疎遠になってしまった。
何が起きているのかわからず、パニックでした。
唱え始めた当初、私は多幸感でいっぱいでした。
それが1週間もすると、次第に気分が沈んできたのです。
「『ありがとう』を唱え始めると好転反応が出る」
たしかそういったことが書いてありました。
良い方向に向かう前に、揺り戻しが起きる、というのです。
うまくいっている証拠だと思った私は、200回、いや300回と、唱える数をどんどん増やしていきました。
面白いことに、しかし、数を増やせば増やすほど、精神的な不調が著しくなっていくのです。
その後、8カ月ほど我慢をして続けましたが、止めました。
頭の片隅ではわかっていたんでしょうね、「お前はうそをついてる」って。
ありがたい状況にはいないのに、なにがありがとうだ、と。
急に不運が降ってきたもんだから、必死になって逃走を試みた―ただそれだけのことなんです。
そもそも、スタートからして間違っているんじゃないか。
なぜなら人生を好転させるために「ありがとう」を言うんですから。
あまりにも都合が良すぎる。
きわめて不遜だと思いました。
止めようと思った理由は、もうひとつ。
起きていることすべてに意味を見出そうとする自分を見つけたからです。
不愉快なこと、うれしくないことが起きたとき、それを吉兆とみなす癖がついていました。
すべてに意味を見出すと苦しくなる。
だから、最初に挙げた「天中殺」や「暗剣殺」なども、あまり気にしすぎるとよくないですよね。
あらゆる出来事に意味を見出すのは苦しいと、私はたしかに言いました。
でも、ピースの又吉直樹さんのこのスピーチには大賛成です。
嫌なこととかしんどい夜が続く時は、「これは次にいいことがあるための”フリ”だ」と。
もしその「フリ」が来なかったとしても、がっかりするくらいで済みそうです。
何より、又吉さんがズッコケる姿を想像して笑ってしまいます。
損するどころか、少し得をしそうです。